久しぶりに朝カフェしてきました。
こんなに時間が作れたのはいつぶりでしょうか。
そんなカフェタイムに、久しぶりに友人に会いました。
友人と話しているうちに自分の中に発見があったのでまとめてみようと思います。
- 友人に気づかされた人生の選択肢
- 人と関わりが少ないって自分を狭めている
- 程よい距離感、程よい交流
友人に気づかされた人生の選択肢
この友人は、同級生です。社会人になってからはSNS上の交流だけでしたが、子どもが通う保育園が同じだったので再会しました。
その後も、保育園の行事などで会うと世間話をするくらいでした。
カフェでたまたまあったその日、相席して少し話し込んでいました。実は、この友人は最近離婚して、実家の助けを受けながらも、子どもとアパートで暮らして、仕事もしていました。
離婚の話もそこそこに、話題は共通の子どもの話や仕事の話がメインに。友人は発した言葉に衝撃を受けました。
「子どもが居るのは大変。だけど、外で働けるのが楽しい。それが楽。私は家の中に居るのがあわなかったみたい」
そうです。そういう人がいて当然だし、以前は自分もそう感じていたことを思い出しました。だけど、すっかり忘れていて、久しぶりの感覚に、心地いい刺激を感じました。
人と関わりが少ないって自分を狭めている
近頃の私は、仕事をしている、それも決められた時間、決められた曜日に働くママを本当に尊敬しています。自分だったら考えられません。毎日早起きをして、朝の支度などをして、時間までに保育園に送り届け、時間いっぱい仕事をする。仕事を終えた疲労を感じながら、保育園へ迎えに行き、母親業が始まります。それが連続で4~5日続くのです。そして、土日祝にはまるっと家族サービスという手当のない母親業。それを当たり前にこなしている、世の女性方々に頭が上がりません…。
そうやって過ごしてきたこの数年。ある意味、時間に追われない自由な、だけどキラキラしているわけではない生活を当然として過ごしていました。ですが、友人からの言葉でハッと気づかされたのです。
女性というか、人は皆、どんな選択をしたっていいし、それが良いと思って選んでも変えたくなるタイミングも来るのです。これは当たり前のことだし、自分もそうしてきたつもりでした。そう思ってきたのに、いつの間にか、自分の選択が一番、自分にはこれしかないと考えにとらわれていたことに気づかせてくれました。友人よ、気づかせてくれてありがとう。
程よい距離感、程よい交流
コロナ禍ということもあり、家族以外との交流がほとんどなかった私です。インターネットを利用して、外の世界とつながっていたつもりではありました。ですが、それには限界があるんですよね。インターネットは、やっぱり「見たい情報」をより得やすくなっています。広告がある、他人が発信してくれる新しい情報もありますが、所詮それはこれまでの私の「履歴」に合ったものでしかなく、「全く新しい刺激」を得るのは難しいと痛感しました。
ここで、やっぱり人との交流が活かされると思いました。リアルでも、オンラインでも、人と交流して、言葉をキャッチボールさせることで、得られる情報や刺激は、生きているものだと感じました。受け身でSNSや動画などを見ているのとは、比べ物にならない「刺激」を感じました。
大事なのは、交流、キャッチボールです。聞くだけ、言うだけじゃダメなんです。受けると発するを両方することで、自分の考えがまとまっていくのですよね。
いきなり人との交流は疲れてしまうので、自分にとって程よい距離感や頻度を保ちながら、人との交流を持ちたいと思いました。数年ぶりに意識が自分の中から、外に向いた気がしました。友人よ、ほんとうにありがとう!
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