太ももに大きな青痣ができました。しっかりとお洋服に隠れてくれていますが…休日の昨日は、子どもと一緒に鉄棒で逆上がりをしました。と言っても、子どもの練習に付き合うわけでもなく、私が1人で鉄棒していただけです。本日は、痣の痛さと鉄棒での筋肉痛を感じながら仕事をしております。
- 逆上がりできないとダメなの?
- 怖さと楽しさのせめぎ合い
- 死ぬことも困ることも無い
逆上がりできないとダメなの?
最初に言っておくと、これは子どもの逆上がりの練習に付き合った話でも、子どもへ逆上がりを教える方法を書いたものでもありません。ただ、三十路で運動不足の母が逆上がりをやってみたという話です。公園へ遊びに行くと鉄棒がありました。その数日前には、小学校1年生の娘から「逆上がりできないの。できる子もいるのに」という話を聞いていました。しかし、当の本人は私に「できるようになりたいとか、練習したい」とも言いません。(優しい大好きなお父さんになら言っていたのかもしれませんが。)念のため、鉄棒で遊んでいる時に、「練習する?」と聞きますが、本人からは「要らない」との答え。だったらいいじゃないか。練習しなくてもいいよ。
以前、習い事の時に口を出し過ぎてしまい、それから私に教えてもらおうなんてことをやめた娘。あの時は、本当に申し訳なかった。ごめん。母は反省しました。それからは、子どもたちに強く「やりなさい」とは言わなくなりました。だけど、学校の用意とは、宿題は言っちゃう時あるんだよな。それもやめるように努力するよ。
さて、逆上がりは、小学校の体育の必須条件というか、一応、単元にはありそうです。うっすらと小学生の時にやったような覚えがあります。だけど、本人はしたくないし、できるようになりたいとも思わない。だったら、そんなの、無理に練習しなくたっていいよ。だけど、母はちょっとやってみたいんだ。だから、勝手に1人で練習を始めてみました。
怖さと楽しさのせめぎ合い
久しぶりに握る鉄棒は低く、回ったときに頭を地面にこすってしまわないか心配になりました。試しに、前回りをしてみると不思議です。前に回るのは怖くないのに、逆上がりで後ろに回ろうとすると怖さを感じます。後ろ向きのジェットコースターが怖いのと同じ原理なのでしょうか?何度か前回りをして、感覚を取り戻してから、逆上がりに挑戦します。えいっと地面をけり上げて、鉄棒を体に近づけるように回りますが、上手くいきません。そして、当たり所も悪くて足やらお腹やらが、とても痛い。逆上がりができたら、スッキリ達成感があるだろうけど、失敗したら痛みが強くなりそう。できるかな、できなかったらどうしよう。どっちとも言えない、両方持ったままの気持ちで何度か挑戦していました。
ちなみに、逆上がりは小学生の時には軽々とできたし、他の技なんかも出来ていました。特に苦手は覚えもありません。三十路の運動不足ではあるけれど、コツさえ取り戻したら、軽々とできるだろうと感じていました。何度も、「怖い」と「やりたい」そして、中途半端な気持ちではやらず、ちゃんと気持ちの準備が出来てから回り出していました。これでも数回やっていれば、逆上がりもできるようになりました。時間にして、20分もかかっていないのではないでしょうか。それでも、娘とお父さんには、「怖いよー、痛いよー」なんて弱音を吐きながら鉄棒を握っていました。そんな母が、逆上がりをできて娘はどう感じていたのでしょう。あえて、聞くこともしませんでしたが、娘はこっちを見ないようにしていたとも思いました。ただ、普段遊べないお父さんとの休日を楽しんでいたのかもしれませんけども、子どもなりに何か感じていたことはあったと思いたいです。
死ぬことも困ることも無い
逆上がりも、水泳、テストで100点をとる、忘れ物をしないで毎日学校へ行く…そんなことをできなくたって、死ぬことも人生で困ることもありません。だけど、私たちはいつの間にか「できなくちゃいけない、ちゃんとしなくちゃいけない」と日常の小さな行動をそうやって積み上げています。だから、これくらいの学校へ行かなくちゃ、これくらいのこと出来て当たり前なんて、勝手に自分の首を絞めて苦しくなっています。それだけではおさまらず、それを他人に強要しちゃうこともあります。こういうのって、毎日の小さな積み重ねだから、知らず知らずのうちに、気づいた時には、なんてことが、これまでも沢山ありました。
だから、振り返る、気づけるようなタイミングがやってくるのですよね。というか、そのキッカケに気づくことができるんです。気づけるって幸運なことで、その時の自分の調子とか、状況によっては気づけないこともあります。生活に追われて、見逃してしまうことが無いようにすることが大切だと思いました。焦らず、追われず、生きている時間に主導権を持って。そうやって、意識して時間の流れを感じられる様に、余裕をもって毎日を過ごしていきたいものだと感じられた休日でした。
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